h2.おばあさん細胞
おばあさん細胞(Grandmother cellまたは、gnostic neuron)とは、その人のおばあさん、より一般的にいえ7_55_ICS_デザイン_意匠ば、複合的な特定の概念や対象物を表現している仮想的な細胞である。おばあさん細胞は、その人が自身のおばあさんの姿を見たり、声を聞くなどして感覚的に識別する際に活動する。おばあさん細胞という用語はジェローム・レトビンによる造語である。
おばあさん細胞仮説を支持する初期の研究として、サルの下側頭皮質にある、手と顔に選択的に発火する視覚ニューロンに関する研究がある。しかし、果物や性器などサルにとって重要な他の視覚対象に対して選択的に発火する細胞は見つかっていない。このことは、バナナなどの他のカテゴリーを識別するよりも、顔を識別する方がサルにとってより重要であるためと考えられている。加えて、サルが識別しなくてはならない他の視覚刺激に比べ、顔は全体的な特徴と細部が顔同士でよく似ているためと考えられている。
おばあさん細胞仮説を支持する最近の研究として、下側頭皮質の細胞は任意の視覚対象に対して非常に選択的に反応するように訓練できるということを示した研究が存在する。この性質はおばあさん細胞に求められる条件に合致したものである。加えて、ヒトの海馬にある細胞が個人の顔を含む、認識のカテゴリーに対して非常に選択的に反応するといった証拠が見つかっている。
発見された顔選択的な細胞のほとんどは、向きや大きさ、色に関わらず個人の顔の選択的な認知を表現するというおばあさん細胞の非常に厳格な基準に実際に適合するものではない。最も選択的に顔に反応する細胞ですら、弱くではあるものの、大抵の場合は他の様々な個人の顔にも反応してしまう。加えて、顔選択的な細胞は多くの場合、顔のどのような側面に選択的に反応するのかについてバラツキが存在する。このことから、これらの細胞はある特定の顔を識別しているというよりは、分散した、大まかな顔のコーディングを行う細胞集団を形成していると考えられている。つまり、特定のおばあさんは、おばあさん細胞やおばあさんっぽい人細胞の集団によって表現されていると考えられる。
2005年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校とカリフォルニア工科大学での研究により、ビル・クリントンやジェニファー・アニストンといった特定の個人を表現する異なるおばあさん細胞が存在する証拠が見つかった。例えば、ハル・ベリーのニューロンは "ハル・ベリーの持つ概念 (抽象的実体 (abstract entity)) "に対して反応し、ハル・ベリーの写真だけではなく、"ハル・ベリー" という名前に対しても発火する。しかし、この研究ではその概念に反応するのが本当にその計測された細胞だけなのかや、 (呈示した他の女優の写真には反応しなかったものの)その細胞が反応するのは本当にその女優だけなのかといった疑問に答えることは出来ない。
おばあさん細胞仮説は完全に同意を得られた仮説ではない。この仮説に対立する立場として、特定の刺激は神経細胞集団の特定の活動パターンによってコードされているというニューラルネットワークの立場がある。
おばあさん細胞仮説への反論として、以下のものがある。
正面や横顔などの異なる角度の顔に反応するために、それぞれの顔に対して数千の神経細胞が必要であるとする説がある。
網膜から脳の異なる視覚中枢へと視覚処理が進むにつれて、視覚像が特定のモジュールへ伝えられるというよりは、水平線や色、速度などの基本的な特徴に分けられ、比較的遠い距離にある様々なモジュールへと散らばっていくことがすでに分かっている。このようなすべての本質的に異なる特徴をいかにしてシームレスなものへと再統合するのかという問題は結びつけ問題 (binding problem) として知られている。

h3.クオリアを創出する神経機構
・意識に対する神経生物学的アプローチ

意識は、ある種の複雑系、生物学的システム、適応系、強い相互作用を持ったシステムが持つ難解で状況依存的な特性である。意識の科学は、精神の現象的状態と脳の現象的状態との正確な関係を説明できるよう努めなくてはならない。非物質的な意識的精神と、身体の電気化学的な相互作用によるその生理的基盤との関係の本質は何か?という問いは古典的な心脳問題の核心である。神経科学者は多くの実験的アプローチによって意識の神経基盤に光を当ててきた。この記事ではこのようなアプローチを概観し、どのようなことが研究されているのかを要約していく。
・意識に相関した脳活動
心脳問題の解決に向けて前進するためには、哲学的な論争を避け、実験的に扱うことの出来る問題に集中することが必要である。そのための鍵となるのが、意識に相関した脳活動 (と最終的には意識の原因) の探求である。
上述した意識に相関した脳活動の定義では、最小限という言葉が重要である。なぜなら、脳活動全体は明らかに意識を引き起こすのに十分だからである。問題はその内のどの下位構成要素が意識的な体験を引き起こすのに必要かという問題だ。例えば、小脳の神経活動は意識的知覚を引き起こすことはないと考えられている。したがって、小脳の活動は意識に相関した脳活動の一部ではない。
この定義は必要条件に強く固執するものではない。なぜなら、神経ネットワークには強い冗長性と並行性が見られるからである。ある条件下でのある神経集団の活動が知覚を引き起こす際に、その神経集団を不活化しても別の神経集団が似たような知覚を引き起こすことが起こりうる。
赤いパッチを見ている時や、おばあさんを見ている時、サイレンを聞いている時などの、全ての現象的、主観的状態は意識に相関した脳活動に関連付けられる。ある特定の意識的な体験の、意識に相関した脳活動の不安定化や不活化は知覚に影響を与えたり消し去ったりする。もしも、人工装具によるものや神経外科手術の際などの皮質の微小刺激などによって、意識に相関した脳活動を人工的に引き起こすことが出来れば、被験者はその脳活動に関連付けられる知覚を体験するだろう。
意識に相関した脳活動の特徴とは何か? 視覚の意識に相関した脳活動と聴覚の意識に相関した脳活動の共通点とは何か? 全ての時間における大脳皮質の全ての錐体細胞が意識に相関した脳活動に必要なのか? または前頭葉からの後方の感覚皮質に対する長距離的な投射の一部だけでよいのか? そのような神経細胞はリズミカルに発火しているのか? そのような神経細胞は同期しながら発火しているのか? これらはこの数年の間に進展が見られた問題の一部である (Chalmers 2000)。
意識に相関した脳活動を発見し、特徴付けることは、意識の理論に関して同様のことをすることと同一ではないという点には注意しなくてはならない。特定のシステムがなぜ何かを体験できるか?、なぜ私たちは意識を持つのか?、なぜ(腸管神経系や免疫系などの) 他のシステムは意識を持たないのか? などの疑問に答えることの出来るのは後者のみである。しかし、意識に相関した脳活動を理解することは、このような理論を前進させることに必要である。
・意識の量子的なメカニズム
意識を生じさせる因子は分子レベルではなく、(1細胞もしくは複数細胞における神経伝達物質の放出や活動電位の発生などの) 神経レベルで存在していると、多くの神経生物学者は暗黙のうちに仮定している。
一部の研究者は巨視的な量子の挙動が意識を生み出すと提唱している。特に興味を集めているのは、カップリングした2つの電子などの複数の物体の量子的状態が、空間的に離れているにも関わらず強い相関を示す、量子もつれと呼ばれる現象で、私たちの局所性に関する直感が破られている (量子もつれは量子コンピュータへの応用が期待されている量子メカニズムの鍵となる特性でもある)。眼によって受容された光子や生体分子の量子メカニズムの役割は議論の余地がないほど明白である。しかし、(強く環境とカップリングしている37℃の暖かく湿った組織である) 神経系のいかなる構成要素も、量子もつれを示している証拠は無い。また、もしも拡散や活動電位の発生、伝播など、個々の細胞の内部で量子もつれが発生していたとしても、神経細胞から情報が入力や出力される原理的なメカニズムは量子的な重ね合わせを崩すだろう。神経細胞間の相互作用という細胞レベルの現象は古典的な物理法則が支配している (Koch and Hepp 2006)。
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